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【ホンダHGR+ケイデンス前編】Physical AIの“Physical”とは何か─現実に勝てないAIは、動けない

16 Jun 2026 • Less than one minute read
※本記事は、Honda総合研究センター/HGRに掲載された記事を、同社の許諾を得て転載しています。

皆さん、こんにちは。HGRセンター長の小川厚(おがわ あつし)です。
Physical AIという言葉が広がるほど、問いは逆にシンプルになります。―AIは、現実世界の中で本当に“動ける”のか。
ケイデンスCEOのAnirudh Devgan(アニルード・デヴガン)氏は、Physical AIを「三層ケーキ」だと表現しました。上にあるのはエージェンティックAI。真ん中にあるのは物理・化学・生物といった“Ground Truth”。そして土台にシリコンとデータ。どれか一層だけでは、現実は動かない。
一方で、現場にはもっと手強い壁があります。視覚から触覚へ切り替わる瞬間、シミュレーションでは埋まらない個体、など。HGRでフロンティアロボティクスドメイン統括を務める吉池 孝英(よしいけ たかひで)さんも交えた対話で、Physical AIの“Physical”が意味するものを掘り下げます。

Physical AIは“三層ケーキ”─AIだけで現実世界は動かない

小川: Devganさん、今日はありがとうございます。まずお聞きしたいのですが、「Physical AI」という言葉、最近本当にあちこちで聞くようになりました。今年のCESでも大きなテーマになっていましたし。Devganさんはこの言葉をどう受け止めていますか?

Devgan: 私はPhysical AIを少なくとも5年前から信じてきましたよ。なぜかというと、AIはとても大きな市場だけど、年間7〜8千億ドルもの投資に見合う「キラーアプリ」が必要なんです。私はずっとPhysical AIがそのひとつになると思っていた。

          (左から)Anirudh Devgan、吉池 孝英 氏、小川 厚 氏

小川: キラーアプリ、というのは?

Devgan: AIを「三層ケーキ」として考えるとわかりやすいんですよ。一番上の層がエージェンティックAI——LLMやワールドモデルがここです。真ん中の層がGround Truth、つまり物事が実際にどう動くかという物理・化学・生物の知識。そして一番下の層がシリコンとデータ。重要なのは、普通、ケーキは三層まとめて食べるということです(笑)。どれか一層だけ最適化しても意味がない。

小川: なるほど。最近は「AIだけで何でも解ける」と考えがちですよね。

Devgan: そう!特に学校を卒業したばかりの人たちはAIさえあればいいと思う。でも30年前に卒業したエンジニアは「物事の本質を知らないと何も作れない」と言う。どちらも正しいんです。両方必要なんですよ。

小川: まさに。そして物理の世界での知識という意味では、私のパートは物理で、DevganさんのパートはAI。Physical AIはその二つが重なり合うところにある。「三層ケーキ」には、どんなアプリケーション領域があるんでしょうか?

Devgan: 第一スライスが「データセンターAI」—ChatGPTのようなソフトウェアの応用で、数千億ドル規模。すでに起きていることですね。第二スライスが「Physical AI」です。自動車、ドローン、ロボット。自動車市場だけで今や3兆ドル以上ある。ドローンは防衛産業全体を変えようとしている。産業用ロボットも、今はまだそれほど知的ではないけれど、ヒューマノイドロボットは「史上最大のプロダクトカテゴリーになる」という調査報告もある。合わせれば数十兆ドルの市場がPhysical AIで変わりうる。

小川: ロボティクスといえば、ASIMOも長年やってきましたが—

Devgan: ASIMOは本当に好きでしたよ、10年前から見ていて。すごいロボットだと思っていました。

小川: ありがとうございます。実は、吉池さんたちがASIMOを作ったんです。

Devgan: えっ、本当に?それはすごい!

視覚から触覚へ─モダリティの切り替えが現場の壁

小川: Physical AIが重要だとして、吉池さんから見て、今一番大変なのはどのあたりですか?

吉池: 私たちが直面している課題の一つが「モダリティの切り替え」です。たとえば、ロボットがワイヤーハーネスのコネクタを壁の向こう側に通す作業を考えてみてください。視野が遮られた瞬間、視覚から触覚へと知覚のモードを切り替えなければならない。

小川: 視覚から触覚へ。

吉池: そうです。私たちはこれを「Arm Dexterity(腕の器用さ)」から「Hand Dexterity(手の器用さ)」へ、という移行として捉えています。HGRが特に力を入れているのは、この指先・手先レベルの繊細な動作制御なんです。

小川: しかも、それをリアルタイムで学習しなければならない。シミュレーションでやろうとしても、限界があって。

たとえばハンカチをつかむ動作をシミュレートしようとすると、生地の空間的な解像度が問題になります。ハンカチを置くたびに、その形状はわずかに異なる。この個体差が、シミュレーションをさらに難しくする。結局、AIは現実世界からリアルタイムで学ぶしかない場面が多くある。

吉池: 触覚情報のラベリングも大きな問題です。視覚は「これはカップ」「これはハサミ」と比較的簡単にラベルできる。でも触覚は違う。センサーの入力状態を言語で正確に表現するための語彙そのものが、まだ存在していないんです。

Devgan: リアルタイム学習の要求は、問題を一層難しくします。シミュレーションが使えないなら、すべてを実機で学ぶしかない。それはコストも時間もかかる。

小川: でも、シミュレーションと実機の両方を使って相関を取る、という方法もあります。完全にどちらかに頼るのではなく、両方の結果を組み合わせてAIを加速させる。そのアプローチで可能性はあると思っています。ただ、その相関を正しく取るためには、「物理を知っている人間」が必要なんです。Cadenceは、Physical AIに対してどんなアプローチを取っているんですか?

Devgan: 私たちの役割はPhysical AIの「設計をしやすくする」こと——シリコンのソリューション、より良いシミュレーター、AIを活用した最適化ツールを提供することです。Hondaは実際の製品—実際のロボット、実際のクルマ—を作っている。世界を変える側にいる。私たちはその設計を加速する側にいる。だからこそ、この協業が面白い。

小川: Cadenceは技術をスケールアップしてツールとして提供する力がある。私たちは特定の製品の要件を知っている。お互いのリソースを組み合わせるのが自然な形ですね。

Devgan: ところで少し視点を変えると—Physical AIって、今多くの企業が語っていますよね。HGRとしての独自性、オリジナリティってどこにあるんでしょう?

小川: それはまさに吉池さんが言っていたことに繋がります。私たちが守らなければならないのは、「リアルなものとリアルな場所」—品質、安全性、操る喜び。これはHondaが長年積み上げてきたものです。

吉池: 技術的な面で言うと、シミュレーションの限界を知っていて、実験誤差の本質を理解していて、その両方を繋ぎ合わせる経験を積んでいる—それが私たちの積み上げてきた知識資産だと思っています。同じハンカチでも場面ごとに違う、という話をしましたが、そういう「物理の揺らぎ」を知っている人間がいることで、初めて正しい相関が取れる。

小川: 相関を取るというのは、言葉にすると簡単ですが、実際にはシミュレーションのどこに限界があるかを知り、物理の何が不確定なのかを理解した上で初めてできることです。それがHGRの強みであり、Cadenceとの協業の意義でもある。

説明できることが“安全”になる──分散アーキテクチャとGround Truth

Devgan: もう一つ聞いてもいいですか。自律走行やロボットの制御システムとしては、どんなアーキテクチャが必要になってくるんでしょう?

吉池: ロボットの制御は、本質的に「階層的な分散アーキテクチャ」を必要とします。高い頻度で処理しなければならない動作制御は末端に分散させる。統合的な判断は上位層で行う。異なるサンプリング時間を持つ複数の層をどうまとめるか—これが未来のロボット・車両システムの鍵となる技術です。

小川: ASIMOもそうでした。足の動きの制御周波数が高すぎて、中央集権的な処理では間に合わなかった。だから末端に処理を分散させた

Devgan: そうなるとアナログとデジタルが混在する「Mixed Signal」の設計がさらに重要になりますね。低消費電力でエッジ側のAI処理を行うには、そのアプローチが不可欠です。

小川: そして、それだけ複雑なシステムになればなるほど、「説明可能であること」が安全のために必要になります。私たちが自動運転のアプローチとして「モデルベースから始める」ことにこだわる理由もここにあります。完全自律プランナーに最初から飛び込むのは危険すぎる。どこで間違えるかを説明できないから。

ロボットや自動車では、人命を100%保証しなければならない。楽しみや効率のためのデバイスなら、ある程度のブラックボックスは許容できるかもしれない。でも私たちが作るものは違う。「なぜそう動くのか」を説明できる設計でなければならないんです。

Devgan: だからこそ物理の「Ground Truth」が大事になる。AIが出した答えに、物理に基づいた検証がかかることで初めて信頼できるシステムになる。

小川:まさしく。Physical AIの「Physical」には、安全性の担保という意味も込められています。

小川: ASIMOもそうでした。足の動きの制御周波数が高すぎて、中央集権的な処理では間に合わなかった。だから末端に処理を分散させた

Devgan: そうなるとアナログとデジタルが混在する「Mixed Signal」の設計がさらに重要になりますね。低消費電力でエッジ側のAI処理を行うには、そのアプローチが不可欠です。

小川: そして、それだけ複雑なシステムになればなるほど、「説明可能であること」が安全のために必要になります。私たちが自動運転のアプローチとして「モデルベースから始める」ことにこだわる理由もここにあります。完全自律プランナーに最初から飛び込むのは危険すぎる。どこで間違えるかを説明できないから。

ロボットや自動車では、人命を100%保証しなければならない。楽しみや効率のためのデバイスなら、ある程度のブラックボックスは許容できるかもしれない。でも私たちが作るものは違う。「なぜそう動くのか」を説明できる設計でなければならないんです。

Devgan: だからこそ物理の「Ground Truth」が大事になる。AIが出した答えに、物理に基づいた検証がかかることで初めて信頼できるシステムになる。

小川:まさしく。Physical AIの「Physical」には、安全性の担保という意味も込められています。後編では、そのシミュレーションとAIの具体的な統合アプローチ、そしてこれからの5〜10年に向けた展望を話していきたいと思います。

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