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【ホンダHGR×Cadence part2】Physical AIの勝負所─相関を越え、風洞が不要になる日は来るのか?

19 Aug 2026 • Less than one minute read

※本記事は、Honda総合研究センター/HGRに掲載された記事を、同社の許諾を得て転載しています。

皆さん、こんにちは。HGRセンター長の小川厚(おがわ あつし)です。

Physical AIの勝負は、結局「実装」と「検証」に戻ってきます。どれだけ精緻なモデルを作っても、現場で使える形に落ちなければ、ただの可能性で終わる。

後編でも引き続き、フロンティアロボティクスドメイン統括の吉池 孝英(よしいけ たかひで)さん、Cadence CEOのAnirudh Devgan(アニルード・デヴガン)氏とともに、語っていきます。

「誤差率が0.2%を切った瞬間、組織全体が動いた」――相関の取り直しが前提だった世界から、“風洞との相関が要らないかもしれない”世界へ。Physical AIが“不要にするもの”まで変えていく、その臨界点を描きます。

GPUで加速し、AIで最適化する──設計空間を広げる道具立て
小川: 前編では、Physical AIが「実装」の勝負であるということ、そして触覚・シミュレーション・分散アーキテクチャという現場の課題を聞かせてもらいました。後編では、その課題をどう解決するかに踏み込みたいと思います。まず、CadenceはPhysical AI向けのシミュレーションにどんなアプローチを取っているんでしょうか?

Devgan: 私たちのアプローチを一言で言うと、前編で触れた「三層ケーキ」をすべて統合することです。Cadenceはこれまでどちらかというとソフトウェア寄りの会社でした。でも、Physical AIを本当にやるには、真ん中の層——Ground Truth、物理そのもの——が必要だと気づいた。だからこそHexagon D&E、BETA CAE、Cascade(※)を取得してきた。物理モデルをちゃんと持つためです。

(左から)吉池 孝英 氏、Anirudh Devgan、小川 厚 氏

小川: なるほど。そこにCadenceの既存のシリコン設計の強みが加わる形ですね。

Devgan: そうです。その上にMillenniumでGPUアクセラレーションを加えて、さらにAIエージェントで設計の最適化を行う。まず多物理解析(マルチフィジクス)を一つのプラットフォームに統合して、それをGPUで加速して、その上でAIが設計空間を探索する—このフローを完成させることが私たちの挑戦です。

※CadenceがM&Aで傘下に収めた関連技術群。Hexagon D&Eは計測・製造を含む産業データ/CAEのエコシステム、BETA CAEは車両開発のCAEワークフロー(モデル生成・解析プロセス)を支える基盤、Cascadeは流体・熱など物理現象のシミュレーションを担うソフトウェア群。

風洞が不要になる日─“相関の取り直し”が消える世界


小川: GPUと組み合わさったシミュレーションは、本当に変わりましたよね。10年前にもGPUはあったけど、シミュレーションのソフトウェアがGPUの能力を100%引き出せていなかった。今はそれができるようになっている。

私たちが長年使っていた解析ソフトから、Cascadeに切り替えた経緯がまさにそれを象徴しています。Cascadeのほうが精度が明らかに高いとわかっていた。でも、なかなか切り替えられなかった。

Devgan: なぜですか?

小川: 何百万、何千万もの計算が旧ソフトウェアとの相関で積み上げられていたからです。ソフトウェアを変えるということは、その相関をすべて取り直さなければならない。それは想像以上のコストなんです。

Devgan: 半導体の世界でも全く同じことが起きてきましたよ。

小川: でも、あるとき誤差率が劇的に下がった。0.2%を切った瞬間、組織全体が動いたんです。「もう風洞との相関を取り直す必要すらないんじゃないか」という空気になった。

Devgan: 「風洞との相関が不要になる」とは、すごい話ですね。

小川: これには「閾値」があるんですよ。3%から2%の改善と、0.5%から0.1%への改善では、意味がまったく違う。1人のエンジニアが3%から2%に下げても「まあそうか」で終わる。でも0.5%から0.1%に下げた人への評価はまったく違う—そのレベルの精度になって初めて、組織の行動が変わる。

Devgan: そこが半導体の世界でも起きたことです。昔、エンジニアたちはシミュレーションを信じなかった。でも長年かけて精度を証明してきた結果、今やほぼすべてのシリコン顧客が物理プロトタイプを作らない。全部コンピュータ上で設計・検証する。それが可能になったら、最適化も爆発的に増えた。精度に自信が持てるから、「この設計でいいか」という確認ではなく、「どうすれば最良になるか」という探索ができるようになる。

小川: 精度が上がることで、使い方そのものが変わるんですね。

Devgan: そうです。CascadeやHexagonのMSC Softwareの上にAI最適化を載せること—それが今私たちが取り組んでいることです。

小川: AIによる最適化とは、従来の最適化と何が違うんでしょう?

Devgan: 数学的な最適化は、本質的に「局所的」なんです。勾配降下法のような手法は、一歩一歩周囲を探索するので、広大な設計空間のほんの一部しか見られない。大域的な最適解を見つけるのが難しい。でもAIはモデルベースで動けるから、設計空間全体をグローバルに探索できる。そこが本当の美しさです。

小川: 以前、Devganさんが同じことをおっしゃっていて、まったくその通りだと思いました。大きな組織だと、数値最適化は勾配ベースになりがちで、局所解に落ちやすい。AIはそこを超えられる。

吉池: それは設計の問題だけじゃなくて、もっと広く使えそうですね。

小川: そうなんです。そしてAIが設計を加速するだけじゃなくて、AIが設計プロセスそのものをも改善する。「AI for Physical AI」というか—AIを使ってAIシステムをより速く設計できる。そのサイクルが回り始めたら、開発スピードが劇的に変わる。

Devgan: そこが私たちが一緒にやりたいことです。AI駆動の最適化と、正確なマルチフィジクスシミュレーションを組み合わせることで、シミュレーションと現実のギャップ—いわゆる「Sim-to-Real Gap」—を埋めていく。現在このプロジェクトには約2000人のチームが関わっています。

小川: 2000人!それは本気度が伝わりますね。

クラウドからエッジへ─電力制約がアーキテクチャを決める

小川: 少し視点を変えて—今後のシステムアーキテクチャについても聞いてみたいです。クラウドとエッジの関係って、Physical AIが普及するとどう変わっていくんでしょうか?

Devgan: 大きく変わると思います。エッジ側がよりAI処理を担う方向に進む。理由は消費電力です。Physical AIにとって、電力制約は非常に厳しい。15分ごとに充電が必要なロボットは使い物にならない。だからエッジで低消費電力にAIを動かすことが最大のエンジニアリング課題になる。

小川: そのためには、専用のチップが必要になってくるんですか?

Devgan: そうです。データセンター向けのGPUをそのまま持ってきても、物理AIには合わない。車載チップとロボット用チップは別物だし、さらに用途ごとに最適化が必要になる。アルゴリズム、アーキテクチャ、そしてアナログとデジタルの組み合わせも含めて再設計が必要です。

吉池: 半導体の話で言うと、ASIMOの例がわかりやすいです。part1でも話しましたが、ASIMOは分散ECUを使っていた。足の動きの制御周波数が高すぎて、中央で処理していたら間に合わなかったから、末端に処理を分散させた。

その設計思想が、これからのロボットや自動車にも本質的に当てはまります。高周波数の処理は末端に分散させて、統合的な判断は上位層で行う。異なるサンプリング時間を持つ複数の層をどうまとめるか—それ自体が、未来のシステム設計の核心にある問いです。

小川: 人間の神経系と同じ発想ですね。全部を脳で処理しているわけじゃなくて、反射は脊髄レベルで処理している。だからこそ速い。

Physical AIの次の5〜10年─相関が必要な時代を走りきれるか

吉池: では最後に—HGRとしての今後5〜10年をどう見ていますか?

小川: 今後5〜10年が、私たちにとって決定的な時代だと思っています。今は「シミュレーションと実機の相関が必要な時代」です。そして将来的には、精度が上がることで相関が不要になるかもしれない。

でも逆説的に、「相関が必要な時代をリードできた組織」だけが、相関が不要になった後も生き残れる。なぜなら、シミュレーションの限界を知っていて、物理実験の誤差の本質を理解していて、その両方を繋ぎ合わせた経験を持っているからです。

Devgan: それがHondaの強みになる、と。

小川: そうです。ハンカチを掴む動作は、毎回その形がわずかに違う。その「物理の揺らぎ」を知っている、環境による誤差を知っている、実験の誤差構造を知っている—そういう積み上げが、正しい相関を取ることを可能にする。それは一朝一夕で作れないものです。

Devgan: その積み上げこそが、Hondaの数十年にわたる資産ですよね。私たちは技術をスケールアップしてツールにする力がある。でも、現場で実際に何が起きているかを知っているのは皆さんです。だからこそ一緒にやる意義がある。

吉池: ロボティクスの観点から言うと、今私たちが取り組んでいるHand Dexterityの問題—ロボットハンドが人間の手のように動けるようにすること—は、まさにこの5〜10年で勝負が決まると思っています。シミュレーションの精度が上がって、AIの最適化が使えるようになれば、今は実機でしかできないことがコンピュータ上で試せるようになる。その転換点に今いる。

小川: Devganさんから見て、物理AIの時代に向けて、エンジニアに伝えたいことはありますか?

Devgan: 一つ言いたいのは、アメリカのトップ大学で今起きていることです。5年前まで優秀な学生の多くがコンピュータサイエンスだけを選んでいた—スタンフォードでも60%以上がそうだった。でも今、変化が起きています。

小川: どんな変化ですか?

Devgan: 機械工学とコンピュータサイエンスの融合専攻が伸びているんです。賢い若者たちが「AIはドメインに適用してこそ価値がある」と気づき始めた。Physical AIのために、自動車やロボットのために学ぶ。これがまさにHGRの皆さんが体現していることだと思っています。コンピュータサイエンス+AI+機械工学—その組み合わせを持っている人たちが、これからの時代に最も必要とされる。

小川: 言語モデルだけなら、世界中に似たようなプレイヤーがいる。でもPhysical AIは、視覚を超えた領域—触覚、音、多様なセンサー情報がすべて統合された世界です。そこには私たちの場所がある。

Devgan: 「Physical」という言葉には、現実への責任が込められているんですね。今日はありがとうございました。物理を知っている人間が、AIの時代に最も強い——そのメッセージが印象的でした。Honda、HGRとの協業が、業界を変えるものになると信じています。

小川: 一緒にやりましょう。


※Cadence Physical AIの詳細はこちらをご覧ください。

※【ホンダHGR×Cadence part1】Physical AIの“Physical”とは何か─現実に勝てないAIは、動けない はこちらをご覧ください。


※注: 以下の企業・技術はCadenceがM&Aを通じて傘下に迎えた関連技術グループです。

  • Hexagon D&E: 計測や製造分野を含む、産業データおよびCAEエコシステムを提供。
  • BETA CAE: モデル作成や解析プロセスなど、自動車開発におけるCAEワークフローを支援。
  • Cascade: 流体解析や熱解析などの物理現象をシミュレーションするソフトウェアを提供。

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